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「サッカーしか知らない人」には、なりたくなかった――(前編)

元Jリーガー×トップ営業 磯村亮太インタビュー

名古屋グランパスのジュニアユース、ユースカテゴリを経て、トップチームへ昇格。名古屋で約10年、その後はアルビレックス新潟、V・ファーレン長崎、栃木SCとJリーグで14年に及ぶプロ生活を歩み、2022年に引退した磯村亮太さん。彼がセカンドキャリアに選んだ舞台は『マイナビ』でした。前後編にわたるインタビューの【前編】では、プロ生活から引退に至る経緯、新たな職場を選んだ理由など、じっくり語って頂きました。

厳しい競争の中で生まれた「夢」


―磯村さんがサッカーをはじめたのは、いつ頃だったのですか?
 
サッカーをはじめたのは3歳くらい、とある地元のサッカースクールに入ったのがきっかけです。小学生になり、低学年の頃はサッカーを続けつつも「野球も楽しいな」と思うなど、まっすぐプロサッカー選手を夢見る少年、ではありませんでした。ただ名古屋で育ったので、『名古屋グランパス』への憧れはあって、「グランパスに入って、あのユニフォームが着たい」という夢はあった気がします。
 
―『名古屋グランパス』のジュニアアカデミー出身ですよね?
 
そうです。グランパスに入れたのは小学校6年生の時。実は、何度かセレクションを不合格になった経験もあり、念願叶ってという形でした。その時点でも「プロサッカー選手になりたい」という気持ちはそこまで具体的ではなかったのですが、グランパスという組織に所属し続けることが目標となる中、自然とプロを意識するようになりました。
 
―ジュニアユース、ユースと皆が昇格できるわけではないですよね?
 
そうですね。チームメートと競い合う中で「自分はこの中で一番だ」と思う部分、「上には上がいるし、テッペンは目指せないよな」と思う部分の両方があって、気持ちが揺れ動く毎日でした。ただユースに上がる時には、「グランパスであろうとなかろうと、高校を卒業したら必ずプロになる」と強い決意を掲げていました。
 
―そして決意した通り、名古屋グランパスでJリーガーに。
 
Jリーガーになれたことはもちろん嬉しかったですが、一方で長いキャリアをそこまで意識していなかった気がします。例えるなら中田英寿選手ではないですが、選手のピークでも区切りがきたらスパッと辞める――。その先に何がしたいとか、なかったんですけどね。結果、14年もプロ生活を過ごすのですが、この時点では社会人という意識も希薄だった気がします。

想像とは全く違った「プロ生活」



―プロサッカー選手となって、想像とのギャップはありましたか?
 
入団当時の監督の方針もあって、「練習は限られた時間のみ集中して」、「練習以外でボールを使うのは原則禁止」という状況だったんです。練習自体、新人は周りで見ているだけというシチュエーションもあったりして、不安と不満がたまりましたね。こそっと近所の公園でボールを蹴ったりとか……。ちょっと思い描いていたプロの姿ではなかったですね。
 
―監督の方針でスタイルがガラッと変わる洗礼が、いきなりあったと。
 
そうですね。でも、そんな不安を和らげてくれる先輩方の声がけもあったのは有難かったです。特に覚えているのは、田中マルクス闘莉王選手からの「やり切ってダメなら、しょうがないんだよ。ビビるんじゃなく、思い切って挑まないと」という言葉。ポジションも近かったですし、よく声をかけてもらいましたね。
 
―他にも印象に残っている同僚や指導者はいるんですか?
 
皆さんそれぞれに“凄み”がありましたね。玉田圭司選手の「自分のやり方を曲げずに貫き通す」部分もそうでしたし、風間八宏監督からの指導は“自分自身のサッカー観が根本から変わる”刺激でした。また練習後に食事に行ったりも含めて、いろいろな選手と話すこと自体、単純に楽しかったですし、自分の価値観を広げてくれました。
 
―試合に関しては、印象に残っている瞬間などありますか?
 
実はこれまで在籍した中で、名古屋、新潟、長崎では“J1からJ2への降格”という苦い経験をしています。悔しさを忘れたことはないですが、一方でプレーの面でも、チーム状況の改善という部分でも、多くの事を考えた時期でもありました。結果的にですが、この時の苦しい体験は自身の糧になっていると思います。

「サッカー界」を一度離れたかった

 
―磯村さんが「引退」を考え出したのは、いつ頃からですか?
 
当時J2だった『栃木SC』での2022年シーズンをもって現役を退いたのですが、その数年前から引退のことは頭によぎり始めていました。僕の中で「トップカテゴリのJ1で活躍してこそ、プロサッカー選手」という気持ちがあり、J1でプレーすることが難しいのであれば引退しようと。足の具合も良くなかったですし、栃木SCに移籍した段階で「ラストチャンス」という意識でした。
 
―引退を決断する過程で、どなたかに相談はしたのですか?
 
サッカー関係の方も、そうでない方にも、相談はしましたね。自分がこの先、どんな選択肢を持てるのかを模索する日々でした。きっと家族も気づいていたと思います。現役中、例えば一般企業で働いているチームメートの先輩とか、別の世界で働く学生時代からの知り合いとか、「サッカーの外」の出会いもいくつかあったんです。その縁が、岐路に立つ僕にいろいろなヒントをくれました。
 
―サッカーの外へコミュニティを広げていたことに助けられたと。
 
引退後、即指導者という考えは頭の中になくて、なんなら「サッカー界から一度離れたいな」という気持ちがありましたから。引退発表は12月でしたが、その2か月くらい前には引退を決断していました。
 
―引退の時点では、次のキャリアは決まっていたのですか?
 
いえ、本格的な就職活動は引退後でしたね。いくつかの転職エージェントに登録もしました。そして知り合いから紹介を受けたのが、現職のマイナビ。そこに『アスリートキャリア』という事業部があると聞いて、この部署で働きたいと思ったんです。いろいろな方からアドバイスを頂く中でも「プロサッカー選手だったキャリアがプラスになる場所が良いよ」と言われていましたし。エージェント経由で別の企業の面接も受けたのですが、マイナビが最も自分の想いと重なり、キャリアも存分に活かせると思い決断しました。

 
「人好き」が次の道をつくった



 
―新たなキャリアに進むのに、不安はなかったですか?
 
もちろん不安は大きかったです。高校を卒業後、すぐにプロとなっているのでアルバイト経験もほとんどなかったですし、PC操作だっておぼつかない。キャリアを活かすといっても「自分に何ができるんだろうか?」と。せめてビジネスの基本くらいは、現役中から身につけておけば良かったなと痛感しましたね。
 
―現役アスリートにアドバイスするなら、その点でしょうか?
 
ビジネススキルを身につけることも大事ですし、“外の世界を見る”こともお勧めしたいです。僕の場合、現役中のさまざまな“出会い”は間違いなくプラスになっていますし、サッカーの外へも出会いの枠を広げていて本当に良かったと感じています。今はSNSも発達していますし。プロサッカー選手が“サッカー以外のこと”で目立つと反発もあるかもしれませんが、視野を広げることは重要だと思います。今の現役選手でも、そこに気付いている方が増えているのではないでしょうか。
 
―磯村さんはもともと、視野を広げる志向を持っていたのですか?
 
いや、僕の場合は単純に「いろんな人と話すのが大好き」が功を奏した形で。ただ、サッカー界にこだわらず関係性を構築したことが良かったのだと思います。現役時代、「サッカー選手よりも、社会人のほうがよっぽど立派だよな」と思っていましたから。今思えば、どの世界にも立派な方も、そうでない方もいるという結論なのでしょうけど。
 

と、現役時代から引退までのキャリアを語ってくださった磯村さん。【後編】では、新たなキャリアの場となった『マイナビアスリートキャリア』でどんな仕事をしているのか? そこで働くやりがいや魅力、今後の目標やスポーツ界に感じることなど、たっぷり語って頂きます。

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